肚と言う用語は八光流の通信教本にも登場しますが、肚自体の厳密な定義や柔術の技法との具体的な関連性の説明はされていません。
初代奥山龍峰先生は、八光流の稽古を通じて自然に肚の強さが涵養されると考えていた様で特別な鍛錬方法の紹介は教本の中では無いに等しい状況です。
唯一、正息の法と言う「正座をして静かに行う腹式呼吸」の紹介がありますが、正息の法は地味すぎて「特別な鍛錬」とは思われていないでしょう。そして、とても地味な割に苦しいので継続的に稽古している人は殆どいないと思われます。
柔術の稽古でも「相手の丹田(肚)を崩せ」と言われたことはあるものの自分の丹田の鍛え方を教えられた事はなかったと記憶しています。だから、平成の後半頃には肚と言う概念に焦点が当たる事は少なかったと思います。
ただし、2019年頃から護身体操の本部講習が始まると受講者の中から「肚が、肚が、丹田が」と言う方々が増えてきました。私も最初期の受講者の1人(受講者第3号)ですが、確かに受講から1〜2年の間は護身体操を通じて得られる身体の充実感は柔術の技に大いに応用できると考えました。
しかしながら、あまりにも「身体の充実感(特にイメージ)」に固執すると結果として力みが生じて身体と技のバランスが崩れると考える様になりました。気功で言う処の偏差に近いのかも知れない。良い例えかどうか?分かりませんが「胃袋の具合で食事をすれば腹八分目で収まるが、脳の欲望で食事をすると腹を下す」のと同じ感じです。
第一、肚ばかりに焦点を当てるのは、本来は「身体全体を包摂する中心」である筈の肚を身体の末端に貶める様な気します。個別で複雑で、更に観念的度合いを増していくので、頭デッカチな稽古になる懸念があります。
八光流の稽古では「腹の皺を伸ばしたまま上体を倒す」事が出来れば、それで良し!それ以上、肚について語る必要はないと考えるが如何でしょうか?腹の皺を伸ばしたまま、と言うのがポイントですが型の中では頻出の動作です。形(姿勢)が整えば、肚(の働き)も自然に調う筈!初代宗家が遺された型の効用を信じたいと思います。
○身体の中心(正中心)については皇法医学において両手を頭上に伸ばした時の指先から足の爪先までも長さの中間点にあると定義されている。
○「護身体操が指圧教本に掲載された経緯」
最新版(第11版)の皇法指圧教本には、肚を鍛えるメソッドになり得る皇法護身体操の解説が載っているが、私の所蔵している第7版には護身体操の記載がない。龍峰先生は八光流柔術に鍛錬メソッドも全て集約・内包させたと考え、護身体操の伝承を重要視していなかった様だ。講習会等で護身体操の解説をした事もあった様であるが、実伝を学べた人は極めて少ない。現在、指圧教本には初代宗家自らが護身体操を示演している写真が掲載されているが、初代宗家が何度目かの大病を患った後に、護身体操の失伝を惜しむ近しい弟子の1人が体操用ジャージを持参して実演をお願いしたとの事。幸い弟子の熱意が受け入れられたが、病後の宗家には完全な型を示す余力は残っていなかったと聞いている。しかしながら、指圧教本に残った護身体操の概要解説は極めて大きな遺産となった。