柔術・古武術・秘伝の探求

八光流柔術の道場「やわらいしゃ」のブログです

八光流柔術とは

八光流柔術は初代宗家奥山龍峰昭和16年6月に創流した柔術流派。

大東流武田惣角師とも交流を持っていた事から大東流の分派と認識される事が多いですが、大東流以外の複数流派の技術・知見も組み込まれています。私は本部で初代宗家所蔵の起倒流の伝書(写)を見せて貰った事がありますが、他にも複数の流派の伝書、覚書を遺された様です。

それらの資料の中には内情を知らない者からすると全く想定外の流派との交流の記録もあり、某師範が初代宗家の足跡を求めて、某流派の宗家筋を訪ねていったところ「先代宗家には大変に世話になった」と言って門外漢には解放しない蔵を開けて頂き中の書物を見せて頂いたとの事でした。

因みに蔵の中を見せて頂いたのは剣術の流派と聞いています。この様な点を踏まえると単純に大東流の分派とは言えないと思います。

個人的には、天神眞楊流の影響も強い様に感じます。実際、初代宗家の自伝である奥山龍峰旅日記を拝見すると、神田松枝町に本部道場があった時代には当時の弟子達が「八光流は天神眞楊流は亜流と呼ばれて悔しい」と初代宗家に訴えている様子が描写されています。また、通いの内弟子であった寺澤交山先生の遺品からも戦前に出版された天神眞楊流の技術が出てきました。寺澤先生も個人的に同流を研究されたのでしょうか?

さて起倒流と天神眞楊流を合わせると講道館柔道を想像します。講道館も天神眞楊流の整骨術を柔道整復と言う形で引き継いだので、平田了山先生の皇方指圧を伝承する八光流の初代宗家と講道館創始者である嘉納治五郎先生とは思想や武術に対する考え方が近い位置にあるのかも知れません。或いは講道館柔道も八光流の成立に影響を与えたのかも知れません。しかし、八光流の源流、あるいはベースとなった流儀について初代宗家は具体的な説明を遺していません。

皇法医学に関して言えば、平田先生に学んだ技術である事、そして平田師の考え方とは異なる独自の知見に基づき皇法医学に改良を加えた事を文章で残しています。それと比べると八光流の成立については謎が多く、説明が困難です。世界一般的な納得・同意を得る為に「大東流からの派生」と説明するのが都合の良い着地点だったのかも知れません。また、Yahoo知恵袋などに「八光流大東流合気柔術を 簡略化し、習得しやすくしたものです。」との回答が書かれているのを見た事がありますが、初代宗家が護身術の速習即効を謳っていた事もあり、その様な評価が定着したのでしょう。

八光流柔術は、型に段位をつけて習得段階毎にまとめていますが、普段は稽古しない奥傳の技は肘関節を極めたまま投げ捨てたり(稽古では途中で緩めます)古い形の柔術の趣を遺しています。また、最近は宗家先生(二代目奥山龍峰)も目録外の更に危険な技(おそらく初代宗家が一般門人に伝えるのを禁じた技)を見せてくる事もあります。

その様な技を体験すると八光流のルーツが何なのか?全く分からなくてなります。とは言え大東流との関係性は否定しません。初段技、二段技の型の中には大東流合気道と類似性の強い技も多い様に感じます。ただ、何と言いますか、それ以外の部分もあるのも事実なので「大東流を簡略化した」との評価には違和感があります。

初代宗家は1987年11月に86歳で逝去されますが、あと数年でも存命されていれば、八光流柔術も更に変化を続けて、今とは違う姿になっていたかも知れません。