柔術・古武術・秘伝の探求

八光流柔術の道場「やわらいしゃ」のブログです

初代奥山龍峰傳「女子護身道 」


初代奥山龍峰先生が戦前の女学生用に監修した女子護身道と言う型は八光流柔術との共通点を持ちながら技の運用は現在の八光流より遥かに烈しいと言う印象です。

 

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私は2019年に女子護身道を学んでからは、打込捕、腕(胸)押捕の伝え方を少し修正しました。初段技の初期段階の教え方で、相手の頭を地面にぶつけるつもりで抑えると言う工夫です。
 
2枚目のイラストは相手を蹴っているのではなく、左足を大きく前に踏み出す瞬間です。上半身を揺らさず、左足で地を踏み締めると共に相手を足下に叩き付けます。コレは女子護身道における型の運用から取り入れました。地面を使った打撃技ですね。

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女子護身道の激しさから八光流黎明期のエネルギーを感じるので、女子護身道のエッセンスを抽出して少しでも往時に近づければ良いな〜っと思っています。戦時下で生まれた型なので、現在の型より極めが明快に作られている印象です。それ故に技のヒントに溢れています。

危険な部分もあるので、稽古の時は細心の注意が必要ですが、そう言った緊張感が却って稽古を充実させるのかも知れません。

【 稽古方法について 】

柔居舎を始めて以来、数多くの稽古方法を試して来ましたが、それは一方で数多くの稽古方法を捨て去った事になります。では捨て去った稽古方法が無駄であったか?と言えば、そうではありません。その時々の稽古体験が次へのステップになっています。

稽古の取り組み方によって全然違うレベルの稽古体験を味わえた事、それらを身体的な経験として蓄積出来た事に意義があったのでしょう。過去の稽古方法を再現しても上手く行かない事もありますが、過去の成功例を標準化する事に、どれほどの意義があるのか?

型は、実用性や学習効果の高い状況設定と先人達の口伝によって学びの手助けをしてくれますが、完璧に標準化されている訳ではありません。むしろ、形式化が出来ない揺らぎの部分に探求の余地が残されている様に感じます。初期段階では上達への捷径を形式に求めるのも有りでしょう。

しかしながら、慣れるに従って洞察の粒度も低く(細かく)なる筈です。そうなると口伝を含めた型の手順解説の中では描写されていない体験(課題・難しさ)にも出会うのではないでしょうか?そうなると必然的に現在の体験が最良の教科書になってくるのではないでしょうか?

技は当然、成功させる前提で稽古すべきですが、成功させる為に技巧的なコツや過去の成功体験を参照すると、進歩へのベクトルが働かない気がします。これは私自身への縛めにもしたい点ですが、部分的(技巧的)な記憶の参照は身体的でなく、既に観念的であると言えます。

頭で考えているが故に、対応が遅れ動きも部分的になり、結果として技を封じられるのではないでしょうか?また、動きが部分的である事は緊張の偏在(偏り)する力んだ動きであるとも言えます。では、記憶を参照しない動きとは如何なるモノか?その辺も踏まえて2024年の稽古テーマを熟考中です。

とは言え「人は記憶を頼りに事象を認識している」との説もあり、武術の技や型は、経験・記憶・記録の集大成とも言え、これらの課題の整理は、とても骨の折れるでしょう。既に従来の八光流の範疇を超えていますが、初代龍峰先生の著作には同じ匂いのロマンを感じるので、間違った方向でもない筈です。

 

以上、2023年12月30日のツイート連投のまとめです。そのまま、コピペしています。

 

 

合気上げ、合気下げ

「合気上げ」「合気下げ」と言う技名、用語は

いつ頃から使われ始めたのでしょうか?

先日、体験に来た方に両手取りからの崩しをお伝えしたところ「これはいわゆる合気下げですか?」と質問されました。「うーむ、どうでしょうね〜、私のところでは合気上げと合気下げとか言わないので」と答えたのですが「合気下げ」と断言して欲しかったのかも知れません。

その時に示した技は両手取りから手を床に向かって下げる崩しの一つであり、大層な名前を付ける程とは思えませんが、敢えて名付けるとすれば「立ち膝固の崩し」でしょうか?

ところで八光流の黎明期には合気○○と名前の付く技が複数あった様ですが、現在は「合気投」の一のみ。この技も初代龍峰先生が、もう少し長生きして最後の大改編を断行していたら技名が変更されていたかも知れないと独りで妄想しています。

大東流の影響を受けながらも流儀名にも合気と言う名前を付けなかったので、脱合気と言う方向性があったのではないでしょうか?合気と言う圧倒的にキャッチーなパワーワードを避けたのは何故か?初代の真意は、今となっては分かりませんが、大東流と一線を画すと言う点では意義があったと思います。

とは言え、八光流から分離独立した流派(再分離を含む)の中には自流を「合気柔術」と称する流儀も少なくありません。ブラジリアン柔術と区別する為の方便か?或いは、源流は大東流であると考えての事か?

兎にも角にも、合気と言う用語は多くの方々に好かれているのでしょう。

 

 

 

引投について②

引投(立技)と合気投(座技)についての考察の続きですが、八光流黎明期の古い教本には「引固」と言う技が登場します。この技は座技ですが、引投と同じく両手取から技が始まります。片方の手を大きく後に引き付けて相手を倒す技で「引投」の動きにソックリですが、この技が登場する教本には引投は登場しません。

その後の教本で「引投」が初段技として登場しますが、一方で「引固」は姿を消して「合気投」の変化形の一つとして稽古されます。おそらく「引投」は「引固」を立技で表現したのでしょう。多くの門人は「引投」を「合気投」の立技形と解釈していますが、実は他の座技、しかも教本から姿を消した「幻の技」が原形だった訳です。

この辺りは技の整理が出来ていない印象を受けます。もしも初代奥山龍峰先生が、もう少し長生きをされていたら、八光流の型の再編が行われ、座技の「合気投」と「立ち合気投」が整然と教本に登場したかも知れません。しかし聡明であった初代宗家の事なので、何らかの意図があって未整備のままとした可能性もあります。士道館時代の技の名残りを残したかったのでしょうか?

少ない型の中で変化・応用の用法を伝える工夫だったのかも知れません。

 

 

 

 

合気柔術とは?

合気柔術って何でしょうね〜。

元々は大東流が自流の優位性を誇るために自流を合気柔術(或いは合気武道、合気武術)と呼ぶ様になったのが始まりだと考えています。

合気と呼ばれる技術の定義については、大東流および大東流の影響を受けた各会派・各流儀で様々に変化している様なので、合気柔術の定義自体が、幅と揺らぎを持ったものになっている筈です。

大東流の解説動画等を拝見すると「柔術では力を用いる」的な説明がされている場合がありますが、この場合の柔術とは、古流柔術全般を指すのではなく、大東流合気柔術の教習課程の中の「柔術」と解釈できます。

力を用いる事なく相手をコントロールすると言う技は古来の柔術に普通に存在していましたが、簡単に習得できる技術ではなかったと思います。従って入門初期段階では表面的で分かりやす実用性・即効性が高い関節技や急所を攻める技法が、学習者の注目を集めやすい目もあると思いますが、修行が進むに従い、力を用いない「やわら」の感覚を身につけていく訳です。

つまり、大東流では習得初期レベルの技術を柔術と称して、習熟度が上がるにつれて「合気柔術」「合気之術」と技術や型の分類を変化させているのだと思います。

そもそも「柔術」と言う言葉の中に「柔らかく相手の力を統べる(術→スベ→統べる→コントロールする)」と言う意味が含まれています。「柔術は力技」と言う解釈が古流柔術全般に用いられるのであれば、武術の先人たちが「やわら」と称した古流柔術は何だったのか?っと言う話になります。

合気柔術」と言う用語も、近年は大東流との関係性に関わらず使用される場面も増えている様に感じますが、言葉が一般化する過程で技術的な背景が忘れさられていく気がします。

「やわら」の上に「合気」を載せた「合気柔術」の本来の姿、武田惣角師の業前とは如何なるモノだったのか?

ロマンを掻き立てらる命題ですね。

 

 

 

 

浮腰の研究

浮腰と言えば、講道館柔道の創始者である嘉納治五郎先生が得意とした技ですが、試合や乱取りなどでは大腰、払腰、跳腰、支え釣込腰などの他の腰技と比べて登場回数が少ない様に思います。

そもそも技の手順がシンプル過ぎる故に難しい!大腰の様な腰に担ぐ訳でもなければ、払腰の様に相手の足を払って投げる訳でもない。

嘉納治五郎先生の業前はかなり強烈であった様ですが、ただ相手に密着して腰の回転のみで、それほど鋭く相手を投げる事が出来るのか?とても不思議な技であり、手順や仕掛けのシンプルさに「やわらの技」としての魅力を感じています。

そう言う訳で柔居舎の稽古会では折に触れて「浮腰の研究」を行っています。八光流柔術がメインの稽古会ですが、浮腰の稽古は中々楽しい取り組みです。2023年に入って、かなり本質に近い所に迫れたかな〜?っと言う感覚はあり、浮腰の稽古で得た「やわらの感覚」を他の技にも応用していきたいと考えています。

 

引投について

「引投」は八光流柔術の初段技13ヶ条にある立業です。両手を掴まれた状態から相手を左右いずれかに投げ捨てる技ですが、手首を掴まれたまま腕の操作で相手を崩し、体捌きで相手を転がす様に投げます。

シンプルでありながら崩しに対して多くの示唆や気付きを与えてくれる技であり、門人内でも人気のある技の一つではないでしょうか?私が入門した道場では受身の練習を兼ねた準備運動として引投を稽古していました。支部道場ごと、師範によって技の趣が大きく異なるのも「引投」の特徴でしょう。

「引投」は座技になると名前を変えて「合気投」と呼ばれます。此方も非常にシンプルな技であるが故に「引投」と同様に技のローカリゼーション(支部道場ごとの技法変化・現地化)が激しい技で、師範によって技の趣がかなり変わってきます。とは言え、近年開催された基本技統一セミナー等により、教本通りの模範的な形も浸透して来ているので「引投」ほどの技の変化は起きてない様に感じます。

模範的な「合気投」を立技で行えば「模範的な立ち合気投」になる筈ですが、八光流の教本に「立ち合気投」と言う技名は存在しません。同じく初段技「手鏡」の場合、立業の解説に「立ち手鏡」で明記されているのとは対照的です。

八光流では座技と立技に違いがあっても同じ技法であれば、原則的に同一の技名をつけていますが、「引投」だけは大きく原則を逸脱しています。

この点は長年、疑問に思って来ましたが、技を仔細に検証してみると現在主流の「引投」は確かに「立ち合気投」と呼べない部分を多く含んでいます。初代宗家は、本質的な技法の相違を踏まえて「立ち合気投」ではなく「引投」と名付けたのではないでしょうか?

どうやら、「引投」と「合気投」を関連づける事自体が間違いなのでしょう。「引投」は「引投」として稽古して、シンプルな動きを楽しめば良いのだと思います。